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Random Walker Log's Log

二度と見ない系ログファイル

何に無理やり生かされてるのか

道を歩いていたら、年取った男がヒザをついてうずくまり震えていた。家に帰る途中で歩けなくなってしまったそうだ。隣で同年代くらいの老女がオロオロしていて、少し遠巻きに、若い男が関り合いになるかどうか迷っている様子で見ていた。見てられなかったので、荷物を持ってもう一人の若い男と一緒に肩を担いでやった。老人は足を前後に動かすのもままならないらしく、足を小刻みに動かしながらじわじわと歩いていた。家は急な坂の上にあった。
今日はたまたま人がいたからいいものの、誰もいない夜にああなったら、家に辿りつけただろうか? 明日になっても歩けないままだったら、どうやって生活するんだろうか? 一応、ヘルパーは付けてあるらしいが……
本当に、これだから死ぬというのは面倒くさいんだ。ある日突然ここからいなくなれた人は幸運で、大抵はジワリジワリと生きるのが無理になってきて、無理になりきったところでやっと死ねる。これは必ずしも50年後60年後の問題じゃない。生きるの無理って思いながらどう生きるのかという問題になる。たぶん、ある時期に生きるのは無理だと理解してスッキリ自殺できる性格じゃない。
なぜスッキリ自殺できないのか? 自殺するのを延々引き伸ばしにできるってことは、もしかしたら、自殺しないでおいてよかったと思える瞬間が来るんじゃないかと期待してしまっているということだ。苦しいのが嫌だという気持ちも無くはないけど。これと、人生に全く希望がないという気持ち(あるいは、クソみたいな未来がやって来るという予測)がどのように同居しているのか? 少し想像してみたところ、死んだほうがいい未来のイメージよりは、そうでない方のイメージの方が漠然としている。漠然の度合いはさして重要ではないか。単に良くなる見込みの方が薄いということだ。こんな不明瞭な、存在するのかどうかもわからないようなイメージに無理やり生かされているというのは直感に反する。
やっぱりよくわからない。たぶん書いていると自然とわかるというものじゃない。